発達障害の息子と、自然体で過ごせないもどかしさ。定型発達の娘と過ごした休みで、感じてしまった違い。

こんにちは、ぽんぱです。

我が家の息子・でんぱ(小1)は発達障害(自閉症スペクトラム)があり、娘・おかっぱ(3歳)は定型発達です。

最近それぞれと過ごす休日があり、でんぱと過ごすと疲れを感じる一方、おかっぱと過ごすととても自然体で楽に感じてしまいました。

親としての正直な気持ちをブログに書いてみます。

息子・娘それぞれと過ごした日

息子の場合

最近は、でんぱと2人で過ごす日が多かったです。

小学校に行けない日や、発達支援センターに行くために学校を休み、家にいることが増えました。

不登校がちになった息子をうとましく思ってしまった日。夫婦で不登校について話し合いました。

不登校がちになったでんぱと過ごす1日は、とても長く感じていました。

いろんな要求を受けいろんな気遣いをし…、程度の差はあれ、ずっと気を張りつめながら過ごしています。

1日が終わるとグッタリして、何もする気力がなくなってしまいました。でんぱと過ごす1日は、私にとって「修行」に近い感覚です。

夏休みに入ってからは、幸い学童に楽しそうに通っており、本当に助かっています( ;∀;)

娘の場合

先日は久しぶりにおかっぱを検診のため休ませ、でんぱは学童に出かけました。

おかっぱと2人だけで過ごす、久しぶりの日です。

おかっぱが手のかからない女の子であること、宿題など勉強する必要がないこともありますが、とにかく楽しい1日でした。

私も自然体で過ごせ、何に気を遣うこともなく、まさに「休日」。穏やかで、肩の力が抜ける日でした。

こんなに差を感じてしまうことに、でんぱに申し訳ない気持ちもあります。

発達障害の息子と暮らすために、フル回転の頭

でんぱと過ごす1日、何がそんなにしんどいのか私なりに考えてみました。

どれも1つずつはそこまで大変なことではないんですが、少しずつが積み重なって、しんどさになっています。

常に先の予測をしている

でんぱには、苦手なことがたくさんあります。風雨、急な予定変更、感情のコントロール、聴覚理解の弱さなど。

穏やかに過ごせるよう、親の私が常に先を予測しながら一緒にいるような感じです。

細かいけど、例えばテレビを見るにしても、こういう1つ1つのことを考えていました。

ぽんぱ
台風の時期は、ニュースを見せないようにしなくちゃ(苦手な風雨の映像で不安になり、外出できなくなる)。

ニュースが何時からだったかな。

ぽんぱ
あ、今日はでんぱの好きな番組の2時間特番がやってる。

(終わるまでその場から離れられなくなるから)見せないようにしようか、お風呂もご飯も全部終わらせて見ようか。

ぽんぱ
この番組、dボタンのゲームがある。

負けてかんしゃくになると嫌だから、見ないようにしようかな。

いっそテレビ見なきゃいいんじゃない?って感じですが、ワンオペ育児で私から目がそらせるのは、テレビだけなので使ってます(;^_^A

こうやって私は色んなことを避けていますが、多分避けてばっかりではいけないとも思うんです。

でも、でんぱがかんしゃくを起こしたり、激怒したりしたときに、私が穏やかに返せる自信がありません。

感情をなくして、淡々と返したい。でも私の弱さで、でんぱ以上の勢いで感情的に怒って傷つけてきました。

これ以上でんぱを怒りたくないし、穏やかに過ごしたいんです。

そのために常に少し先の予測を考え続けている状態で、頭が休まることはなく、親の私も思い付きで行動ができない点が地味にしんどいのです。

こう言ったらこうなるな、じゃあこれはやめておこう…とか、ずーっと考え続けてます。

自然体でいたい。でもそれではうまくいかない。

発達障害の子には、何も考えずに伝えると、伝わらないことがたくさんあります。

あいまいな「ちょっと待って」じゃなくて、「5分待って」に言い換えようとか、そういう感じですね。

怒り方、伝え方、考え方。色んな変換があります。

まだ私は自然に適切な言い方を発することができず、一度自分の頭の中で変換する作業が必要。

ぽんぱ
(えーっと「何回言ったらわかるの!?」じゃなくて、「どうしたらいいと思う?」って言うんだ)

言い方を工夫すれば、伝わることも多いんです。

でも自然に言葉を発することができない、というのが地味にストレス。発言前に一度、考える時間が必要です。

ただ思ったことを、口に出したいという気持ちがあります。

「かもしれない」のストレス

発達障害ゆえ、でんぱがパニックやかんしゃくを起こすこともあります。

成長とともに回数は減ってきてはいるものの、その分1回の迫力や私へのダメージが増したような感じ(;^_^A

何かで読みましたが、人は起こってしまった出来事よりも、「その出来事が起こるかもしれない」というストレスの方が重いのだとか(うろ覚えですが)。

常に「これを言ったら、かんしゃくが起きるかも」「ここでこうしたら、パニックになるかも」と考えながら、でんぱと暮らしています。

実際にかんしゃくやパニックが起きた時の対応もストレスですが、「かもしれない」と思い続けることも、疲れるひとつの原因のように思います。

 

息子ももちろん愛している。でも労力が全然違うしんどさ

でんぱのことは、大好きです。とてもかわいい息子で、いとおしい存在。

でも、おかっぱの方が「愛しやすい」という感じがあるんです。

素直に伝えたら、素直に受け取ってくれる。自然体でいられる。

同じくらい好きなのに、でんぱと過ごすのは大変で、おかっぱは簡単。

私がでんぱの対応のために作り上げた態度・言動でないと、でんぱは安定して過ごせないんです。

私やおかっぱにとって「当たり前のこと」が、でんぱにとっては当たり前ではない。

でんぱを愛するのは、どうしてこんなに難しいのだろうと、苦しく思うことがあります。

まとめ:「発達障害」という言葉にとらわれすぎているかも

でんぱが発達障害の診断を受けてから、まだ1年も経っていません。

「発達障害」という言葉にとらわれすぎているのかもしれないな、とも思います。

育児の苦しさや大変さを全部「発達障害」という言葉に押し付けている面も、ある気がします。

どう向かい合っていけば良いのか、まだ手探りの日々。

たくさん間違っていると思うし、もっとできることもあるんだと思います。

でんぱにとっても、おかっぱにとっても、そして私たち夫婦にとっても安らげる家庭でありたい。

今は頑張ってやっていることでも、いつか当たり前のようにできるのかもしれません。

まずは目の前のことに向き合って、毎日を1日ずつ乗り越えていきたいなと思っています。