こんにちは、ぽんぱです。
我が家の長男・でんぱには自閉症スペクトラムという発達障害があります。
発達障害を疑われてから今日に至るまでのことを、振り返ってみました。
※これは我が家のケースなので、同じようなことをしていても、発達障害であるかそうでないかは判断できません。参考程度にお読みください。
はじめて「アレ?」と思った1歳の誕生日

長男・でんぱはとっても元気な赤ちゃんでした。
おっぱいを飲ませるのも、寝かしつけるのもそれなりには苦労しましたが、標準通りに発達してきたと思います。
立ったり歩いたり言葉を話したり、ということの遅れはありませんでした。
はじめて「アレ?」と思ったのは、1歳の誕生日。
私はでんぱに動くミニカーをプレゼントしました。
ボンネットのところを押すと、勝手に車が走るものです。
「喜んでくれるかなあ」とウキウキしてプレゼントを渡し、ボンネットを押してみました。
その瞬間。
でんぱは「イヤーーーーー!!!!」と絶叫して大号泣。
「え?何が??」と、私はわけがわかりませんでした。
とりあえず車をしまうと泣き止みますが、今度はその車を見ただけで号泣。
あとでわかりましたが、でんぱは「勝手に動くもの」に恐怖心を感じていたのです。
この車はもちろんのこと、プラレールも一切自動で走らせることはできませんでした。
いつも床に寝そべって、車輪を眺めながら自分の手で車を走らせるだけ。
これもあとで知りましたが、くるくる回るものを眺めるというのも、発達障害のある子が好むことのようです。
2~3歳 こだわりが出てきた

でんぱは1歳になってすぐ保育園に入園。4月生まれのため、0歳児からのスタートです。
最初はもちろん大泣きでしたが、だんだんと保育園生活に慣れ、楽しく通ってくれるようになりました。
2歳ごろから自分の意志がグッと出てきて、こだわりが目立ってくるように。
この当時は色に対するこだわりがあり、同じ色ばかり集める行動が目立った時期です。
反対に隣合う色が同じだとパニックを起こすこともありました(黄色いお皿に卵焼き、とかがダメでした)。
また変化に対応する力がとても弱く、季節の変わり目が苦手。冬になっても、パーカーやジャンバーを着ることができません。今でも苦手です。
でも私は初めての子供ということもあり、「子供ってこういうものなんだ」と何の疑いも抱いていませんでした。
保育園から「発達の心配」を告げられる

3歳半のとき、保育園の先生から「発達に心配な点がある」と告げられました。
私は心底驚き、本当にうちの子が??と信じられない気持ちでいっぱい。
その時先生から「気になる」と告げられたのは、こんなことでした。
- みんなが外に行っても、一人だけ別の遊びを続けようとする
- 一斉指示が理解できていない
- 色に対するこだわり
- 季節の変わり目に対応できない
- かんしゃく、パニック
ちなみに、でんぱは1歳半検診、3歳半検診を受けましたが、全くひっかかることはありませんでした。
それどころか3歳半検診で「保育所から発達に心配な点があるといわれました」と言っても、保健師さんから「この年頃の子はそんなもの。心配しすぎですよ。」と。
私も自分の子に発達障害の可能性があるのでは、と言われて不安になり、息子の行動を逐一観察していました。
まだ信じたくなくて、発達障害の本を読んでは、息子にあてはまらない行動を探していましたね。
「この行動はしていないのだから発達障害ではないだろう」「いや、この行動はやっぱり発達障害なの?」と一喜一憂していたように覚えています。
「障害があろうがなかろうが、我が子を愛するだけ」と、頭ではわかっていました。
それでも気持ちが全然ついてこなかったのです。
ついてこない気持ちを、無理やり頭で押し込めていた日々でした。
人見知りがまったく治らない

またでんぱは、赤ちゃんの頃から人見知りが激しかったのですが、それがまったく治りませんでした。
親戚の集まる会ではパニックを起こし、激しく暴れて泣きわめくばかり。
知らない人とは一言もしゃべることができず、もちろん挨拶もできません。
子育て広場などでも一人の世界。知らない子が遊ぼうと入ってくると固まってしまい、対応できませんでした。
4歳 初めての発達検査
でんぱのことをもっと知りたいと思い、地域の発達支援センターで発達検査(新版K式発達検査)を受けることになりました。
予約自体は3歳半ごろにしていましたが、半年ほど待ち、4歳になってすぐようやく検査。
その結果は「ややゆっくりめだが、標準域の発達段階」というものでした。

この結果をどう受け止めてよいのか、私は混乱しました。
発達障害がある、とわかれば色々なことが進むのですが、その時点では診断名はつきません。
でんぱのかんしゃくやパニック、人見知りやこだわりという困った状態は続いていました。
でも診断名がつかなかった=発達障害ではない、と思い、助けをだれかに求めてよいのかどうか分からなくなったのです。
発達支援センターからは「希望があれば、療育のクラスを受けることができます」との案内があり、一応お願いすることにしました。
でもそのクラスも人がいっぱいで、半年待ち。
その間、私はこの子と何をしたら良いのだろうと、なんだか途方にくれてしまったことを思い出します。
