ドラえもんの映画「ドラえもん のび太の新恐竜」を、子供たちと見に行ってきました。
コロナウイルスの影響で3月の公開が延期され、やっとの上映だったので楽しみにしていたのですが…
発達障害のある息子がいる身としては、結構辛いシーンが多かったように思います。
もちろん発達障害児を育てる方がみんな同じように感じるわけではありませんが、私個人としてはモヤモヤが取れず、あまり楽しめませんでした。
「みんなと同じじゃないから、仲間外れ」のシーンの辛さ

緑色の恐竜・キューが飛べないから、恐竜の仲間に入れてもらえなかったシーンがあります。
「みんなと同じじゃないから、仲間外れ」は、発達障害児がいれば大なり小なり抱える問題でもあり、何度も経験した我が子の姿が重なって、ショックは大きかったです。
さらにしんどかったのは、のび太が「じゃあ、僕がキューを飛べるようにしてやる!」と、キューに猛特訓をし始めたところ。
飛べないキューを何度も何度も練習させ、叱り飛ばします。
「みんなできてるんだから、キューもできる」「なんでできないんだ」と。
何度も何度も自分も思い、周りからも言われ続けてきたことです。胸をえぐられました。
結局キューは終盤で飛べるようになり、最後は恐竜たちと仲間になれたのですが、
そこも「キューがずっと飛べないままだったら、結局仲間には受け入れられなかったのでは」と思うと悲しい…。
「できるようになること」だけを見ている

物語全体を通して、根性論というか「頑張ればできる!」のメッセージを感じ、そこもしんどかったです。
キューは飛べなかったのが飛べるようになり、
のび太は逆上がりできなかったのが、できるようになる。
できなかったことはなかった。
できるようになることって、すごいことだと思うんですよ。ほんと。
だけど、できるようになるために頑張って頑張ってでもできなくて、すり減って追い込まれる子もたくさんいます。
「頑張ってできるようになること」と同時に、「できないことを受け入れること」も同じくらい大切なのではないかと思うんです。
逆上がりできなくても人生困らないですし(もちろんできるに越したことないんですけど)。
全てをできるようになる必要もありません。
「できないことをできないまま受け入れる」という発想自体の排除された世界に見えて、発達障害を抱える子たちの追い込まれるこの世界をうっすら感じてしまいました。
できないキューばかりが注目され、ミューの影が薄い

双子の恐竜で生まれてきた、緑のキューとピンクのミュー。
食べない・飛べないなどできないことが多いキューと、何でも普通にできちゃうミュー。
物語の中心は、いつもキューでした。
普通に食べて飛べるミューは、淡々と進んでいくだけであまり心配されず触れられもせず。
個人的には定型発達の娘を重ねてしまい、ザワザワした気持ちになりました。
キューにばかり手がかかり時間を取られ、できなかったのができた分感動も大きく、ドラマ性もある。
でも普通にできちゃうミューには、あまり注目されていないという印象でした。
ミューが寂しがっている描写もありませんでしたが、それこそが「きょうだい児」問題の見過ごされやすさのようで。
キューばっかりじゃなくて、ミューも褒めてあげて…とか色々心配になっちゃいました(^-^;
逆上がりがしんどい子たちを、追い込まないか心配。

息子は、ずっと逆上がりができません。
本人もできるようになりたいと何度も練習しましたが、協調運動障害もあり難しいのです。
今は不登校なのもあって、逆上がり練習もお休み中。
逆上がりができないのび太を、体育でみんなが笑うシーンもあり、人ごとじゃなく感じられました。
体育の不出来って、人前で晒されるから、本当につらいんですよね。
終盤のび太が逆上がりをできるようになったことで、「逆上がりやっぱりできないと」って感じる子たちが増えないかな…とか心配になってしまいました。
まとめ:できるようになることが、全てじゃない。

全体を通して、私にはしんどいと思うことが多かったです。
子供たちがそれなりに楽しんでいたのは救いですが。
もし私に発達障害児がいなければ、楽しめたのかな?とか色々考えてしまいました。
世の中の普遍的なメッセージが通じない育児をしているので、どうも考えすぎてしまってるかもしれません(^-^;
映画のメッセージが合わないと感じることも多いですが、我が家は我が家なりに人と比べないよう、なんとか生きていきたいと思います。